狼は帰らず―アルピニスト・森田勝の生と死 (中公文庫)

狼は帰らず―アルピニスト・森田勝の生と死 (中公文庫)

神々の山嶺 上 (集英社文庫)

神々の山嶺 上 (集英社文庫)

神々の山嶺 下 (集英社文庫)

神々の山嶺 下 (集英社文庫)

女盗賊プーラン〈上巻〉

女盗賊プーラン〈上巻〉

女盗賊プーラン〈下巻〉

女盗賊プーラン〈下巻〉

奴隷とは (1970年) (岩波新書)

奴隷とは (1970年) (岩波新書)

奴隷とは

 奴隷とは。自動車や家や机が所有されるように、他の人間によって所有されるとは。売り飛ばされうる財産の一部として生きるとは、―――母親から売られていく子供、夫から売られていく妻。人間とは考えられずに、ひとつの《物》として考えられるとは。その《物》は、畑を耕し、木を切り、食物を料理し、他人の子供を養育する。その《物》の唯一の機能は読者よ、あなたならあなたを所有する人間によって、決定されてしまうのだ。
 奴隷とは。苦悩と権利剥奪にかかわらず、じぶんが人間であると、おまえなんか人間じゃないというものよりも、もっとじぶんのほうが人間的であると知るとは。喜び、笑い、悲しみ、涙を知り、しかもそれでいて、机と同等のものとしてしか考えられないとは。
奴隷であるとは、人間性が拒まれている条件のもとで、人間であるということだ。かれらは、奴隷ではなかった。かれらは、人間であった。彼らの条件が、奴隷制度であったのだ。
奴隷とされたひとびとは、じぶんじしんと、じぶんが置かれていた奴隷状態とを、人間の眼と心とで見ていた。じぶんの身に起こっている事柄のひとつひとつ、じぶんのまわりで進行したすべてを、自覚していた。それなのに、奴隷たちは、しばしば、押し黙って野蛮な動物なみに描かれ、その唯一の特性が、働き、歌い、踊ることだけにあるとされたのです。あいつらは、子供みたいなものさ、な、あいつらは奴隷制度のおかげで、じっさい恩恵をこうむってるんだぜ、―――これが、奴隷ではなかったひとびとの意見であった。奴隷であったひとびとは、これとは異なった物語をしてくれている。

 かれらには、わかっていたのだ。だから、その機会が与えられれば、かれらは、奴隷制度について、生き生きとして、新鮮で、敏感な言葉で語ってくれる。かれらは、正規の教育をひとつも受けはしなかったが、日々これ生きるという、ひとびとと自然を観察するという、そういう教育を身につけていた。というのは、かれらの生活は、そういう知識に依存するしかなかったからだ。

 あらゆる奴隷たちが、必ずしも同じ経験をもっていたわけではなかった。なかには、あまりにも奴隷らしくなってしまっていたので、奴隷制度が終わったとき、悲しんだものもいた。

 なんとかしてもういちど、わたしは昔の御主人にお目にかかりたいのです。たぶん、御主人のまえに出ていって、何をいたせばよろしいのでしょうか、と聞いてみるだけのことだろうと思うのです。そうすれば、御主人は言いつけてくださるでしょう。どんなふうにやればよいのかわからなければ、あのかたはその方法を教えて下さるでしょう。そうしてわたしは、御主人によろこんでいただくために、その仕事をやり遂げようと努めるでしょう。やり遂げてしまえば、御主人から、むかしよく言われつけてたように、ぶつぶつこんなふうに不平を言われたいんです。「チャーリー、おまえって男は全く頭がわるいなあ、だが、おまえは根は善良だよ。この仕事だって、あんまりいい出来ばえじゃないぞ、でも、まあ何とかまにあうだろう。そこにある黒砂糖をすこしばかり、持って行きな。だが、食べてるところを、ほかの黒んぼたちに見られるんじゃないよ。もし見られたら、おまえの黒い背中を打ってやるからな!」天国じゃ、こんなふうなことにはならないだろうと思いますよ。だが、ここにすわって、他にこれといったどんな方法もわたしには考えだせないのです。(チャーリー・ウイリアムズ ボトキンBotkin、110㌻)

 こういう数少ない奴隷たちというのは、通常、奴隷所有主の家のなかで働いたひとびとであった。チャーリー・ウイリアムズの奴隷所有主との関係は、異常なものであった。こういうのは、奴隷制度のもとで存在しうる痛ましい人間関係と人間像の一例である。

 あんたに言うことがあってやってきやしたよ、旦那。わしは、あんたのためにもう四〇年間も、働いてきやした。食うだけのものは、わしは、稼ぎやした。わしを売­ろうと、鞭で打とうと、あるいは殺そうと、そいつはあんたの勝手でさ。そんなことは、わしは、気にしちゃいない。だが、もう、わしを働かせようったって、そいつ­はむりなこってさ。