石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

詩の定義 
  

 詩を書きはじめてまもない人たちの集まりなどで、いきなり「詩とは何か」といった質問を受けて、返答に窮することがある。詩をながく書いている人たちのあいだでは、こういったラジカルな問いはナンセンスということになっている。「なにもいまさら」ということだろう。しかし、詩という形式がまだ新鮮な人たちにとって、この問いはけっしてナンセンスではない。彼らにとって詩は驚きであり、その驚きの全体に一挙に輪郭を与えたいという衝動は、避けがたいことだからである。この問いにおそらく答えはない。すくなくとも詩の「渦中にある」人にとっては、答えはない。 しかし、それにもかかわらず、問いそのものは、いつも「新鮮に」私たちに問われる。新鮮さこそ、その問いのすべてなのだ。
 ただ私には、私なりの答えがある。 詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。 詩における言葉は言わば沈黙を語るための言葉、「沈黙するための」ことばであるといっていい。 もっとも耐えがたいもの語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、言葉に課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。  (10頁)

位置


しずかな肩には
声だけがならぶ
声よもり近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
その左でもない
無防備の空がついに撓み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それがそれが
最もすぐれた姿勢である

待つ


憎むことは 待つことだ
きりきりと音のするまで
待ちつくすことだ
いちにちの霧と
いちにちの雨ののち
俺はわらい出す
たおれる壁のように
億千のなかの
ひとつの車輪をひき据えて
おれはわらい出す
たおれる馬のように
ひとつの生涯のように
ひとつの証人を待ちつくして
憎むとは
ついに怒りに至らぬことだ

方向


方向があるということは新しい風景のなかに即座に旧い風景を見いだすということだ 新しい位置に即座に古い位置が復活するということだ ゆえに方向をもつということは かつて定められた方向に いまもなを定められていることであり 混迷のただなかにあって およそ逸脱を拒まれていることであり 確とした出発点がないにもかかわらず 方向のみが厳として存在することであり 道は制約されているにもかかわらず 目標はついに与えられぬことであり 道を示すものと 示されるものがついに姿を消し 方向のみがそのあとにのこることである
それは あとでもなく確実であり ついに終わりに到らぬことであり つきぬけるものをついにもたぬことであり つきぬけることもなくすぐに通過することであり 背後はなくて 側面があり 側面はなくて 前方があり くりかえすことなく おなじ過程をたどりつづけることであり 無人の円環を完璧に閉じることによって さいごの問いを圏外へゆだねることである

構造


 よろこびは いかなる日々にあったか。あるいは苦しみが。 よろこびと苦しみの その構造を除いて。いかなる自由においてえらばれてにせよ えらばれたのは自由でも 苦痛でもなく つねにその構造であったということを。語りつがれたものはその構造でしかなく 構造をうながしたものは 永久に訪ねるもののない原点として残りつづけたし 残りつづけるのだということを 一度だけは確認する必要があるだろう。
 ゆえに 語りつがれなければならないのはつねに それを強いた構造ではなく それが 強いられた構造である。しいられた果てを おのれにしいて行く さらに内側の構造である。
 その構造において 構造をそのままに おのれにしいる静寂があったということを およそ語りつぐものは一人であり 語りつがれるものもまた一人である。
 われわれが構造にやすんじあえるのは まさにそのゆえである。

痛み


 痛みはその生に固有なものである。死がその生に固有なものであるように。固有であることが 痛みにおいて謙虚をしいられる理由である。なんびとも他者の痛みを痛む事はできない。それがたましいの所業であるとき 痛みはさらに固有であるだろう。そしてこの固有であることが 人が痛みにおいて ついに孤独であることの さいごの理由である。痛みはなんらかの結果として起こる。人はその意味で 痛みの理由を 自己以外のすべてに求めることができる。それは許されている。だが 痛みそのものを引き受けるのは彼である。 そして 「痛みやすい」という事実が 窮極の理由として残る。人はその痛みの 最後の主人である。
 最後の痛みは ついに癒されねばならぬ。治癒は方法ではない。痛みの目的である。痛む。それが痛みの主張である。痛みにおいて孤独であったように 治癒においてもまた孤独でなければならない。
 以上が 痛みが固有であることの説明である。実はこの説明の過程で 痛みの主体はすでに脱落している。癒される事への拒否は そのときから進行していたのだ。痛みの自己主張。この世界の主人は 痛みそのものだという 最後の立場がその最後にのこる。

疲労について


この疲労を重いとみるのは
きみの自由だが
むしろ疲労
私にあって軽いのだ
すでに死体をかるがるとおろした
絞索のように
私にかるいのだ
すべての朝は
私には重い時刻であり
夜は私にあって
むしろかるい
夜にあって私は
浮きあがる闇へ
かるがるとねむる
そのとき私は
すでに疲労そのものである
霧が髭を洗い ぬらす
私はすでに
死体として軽い
おもい復活の朝が来るまでは

 私たちをさいごまで支配したのは、人間に対する(自分自身を含めて)強い不信感であって、ここでは、人間はすべて自分の生命に対する直接の脅威として直接の脅威として立ちあらわれる。しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯であることを、私たちはじつに長い期間を経てまなびとったのである。
 強制収容所内での人間的憎悪のほとんどは、抑留者をこのような非人間的な状態へ拘禁しつづける収容所管理者へ直接向けられることなく(それはある期間、完全に潜伏し、潜在化する)、同じ抑留者、それも身近にいる者に対しあらわに向けられるのが特徴である。それは、いわば一種の近親憎悪であり、無限に進行してとどまることを知らない自己嫌悪の裏がえしであり、さらには当然向けられるべき相手への、潜在化した憎悪の代償行為だといってよい。
 こうした認識を前提として成立する結束は、お互いがお互いの生命の直接の侵略者であることを確認しあったうえでの連帯であり、ゆるすべからずものを許したという、苦い悔恨の上に成立する連帯である。ここには、人間のあいだの安易な、直接の理解はない。なにもかもお互いにわかってしまっているそのうえで、かたい沈黙のうちに成立する連帯である。この連帯のなかでは、けっして相手に言ってはならぬ言葉がある。言わなくても相手は、こちら側の非難をはっきり知っている。それは同時に、相手の側からの非難であり、しかも互いに相殺されることなく持続する憎悪なのだ。そして、その憎悪すらも承認しあったうえでの連帯なのだ。この連帯は、考えられないほどの強固なかたちで、継続しうるかぎり継続する。
 これがいわば、孤独というものの真の姿である孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独は、のがれがたく連帯のなかにはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無償な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。
 この連帯は、べつの条件のもとでは、ふたたび解体するであろう。そして、潮に引きのこされるように、単独な個人がそのあとに残り、連帯へのながい、執拗な模索がおなじようにはじまるのであろう。こうして、さいげんもなくくり返される連帯と解体の反復のなかで、つねに変わらず存続するものは一人の人間の孤独であり、この孤独が軸となることによって、はじめてこれらのいたましい反復のうえに、一つの秩序が存在することを信ずることができるようになるのである。
 (94頁)