魔女狩り (岩波新書)

魔女狩り (岩波新書)

 この迷信と残虐の魔女旋風が、中世前期の暗黒時代においてではなく、合理主義とヒューマニズムの旗色あざやかなルネサンスの最盛期において吹きまくったということ、しかもこの旋風の目の中に立ってこれを煽りたてた人たちが、無知蒙昧な町民百姓ではなく、歴代の法皇、国王、貴族、当代一流の大学者、裁判官、文化人であったということ、そしていまひとつ、魔女は久遠の昔から、どこの世界にもいたにもかかわらず、このように教会や国家その他の公的権威と権力とが全国的に網の目を張りめぐらしたこの上なく組織的な魔女裁判によって魔女狩り行われたのはキリスト教国以外にはなく、かつ、この時期(一六○○年をピークとする前後三、四世紀間)に限られていたということ、―――これはきわめて特徴的な事実ではあるまいか。魔女裁判の本質は、結局、この「地域」と「時期」との関連の中にある。
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 これらの精密豊富な実例と真実性の強調とで、新しい魔女像が人々の心深く刻みこまれていったのは無理もなかった。この架空の魔女像が巻き起こした魔女旋風の中で数知れぬ男や女が焼かれていったのは悲劇だった。しかし、この魔女像の制作者自身が、それを実在だと信じきっていたことはさらに悲劇であった。この制作者たちは誠実で敬虔(けいけん)な、一流の、少なくとも二流以下ではない、立派な人々であった。欺瞞的に捏造しようなどという意図は毛頭なかったはずである。
 パスカルはいっている。 ――― 「人は、宗教的信念によって行うときほど喜び勇んで、徹底的に悪を行うことはない。」(『パンセ』)
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