雷電本紀 (小学館文庫)

雷電本紀 (小学館文庫)

 見物した後までもずっと心に残るのはその郡を抜いた体や技や力、それよりも、ああして何の妥協もなく、一心に全力をふり絞り相撲う、その怒りの激しさだった。まだ前髪を落としていない二十三、四だと伝えられる若い衆が、強大なものにたった一人で立ち向かっているように見える。何も持たず、何もまとわず、裸同然で、おそらく相手の東方力士ではなく、その背後にあるもの。
 見物していた己れが、かつては持っていたが、いつの間にか自ら失い、あきらめてしまった思いや怒り。やれ問屋組合だの町会だの、何もかも群れ集まり、少しも目立つまい、波風をたてまいとして、いつの間にか平然と日を暮らす己のブザマをつきつけられた思いが助五郎をも打ちのめしていた。

(35頁)

 去ること三年前、未年(天明七年)の五月二十日から二十四日までに江戸中で吹き荒れた打ち毀しの後、下手人の徹底的な探索と弾圧、懐柔策の下し米などによって、表面は平静を保っているものの、一枚めくれば、むしろ貧富の差は広がるばかりで、裏店の暮らし向きは悪くなる一方。それでもドブの臭いに鼻の方が慣れてしまうように、この糞まみれの江戸暮しに心底飽き果てながら、それすらも忘れて生きている。あの馬ヅラの化け物が、そんな時にひょっこり顔を出し、昨日草深い田舎から出てきたばかりの茫洋とした表情のまま巨体を踊らせて相手に襲いかかり、つきつけて来ているものは、飼い慣らされた己れの惨めさに他ならなかった。
(45頁)

 列子』の、「呑舟の魚は枝流に遊ばず。鴻鵠は高飛びして汚池に集まらず」を明らかにもじったものだった。舟を呑みこむほどの大魚こそ、ささやかな流れに遊び、鴻や鵠のような雄大な鳥ほど汚れよどんだ池に集うものだ ――― と、雷電は書き残して去った。
(67頁)